終戦前後になると思い出されるスタジオジブリ作品「火垂るの墓」。
初回放送からは2〜3年おきに放送されていましたが、2009年から2013年までの約4年間放送されない時期があったのをご存知でしょうか。
放送されない背景にはあの有名なシーンが理由になっていたという噂も…
それではなぜ、火垂るの墓が放送されない時期があったのかを見ていきましょう。
「火垂るの墓」の人気がなくなった?低迷が続く視聴率
放送されないと言われた理由のひとつが視聴率です。
「火垂るの墓」を放送しても利益を生まないと判断され、放送されなくなったと言った方が適切かと思います。
「火垂るの墓」が初めてテレビ放送されたのは映画公開の翌年、1989年でした。
当時の視聴率はなんと20.9%!そこから2〜3年おきに終戦日前後に放送されており、2001年には21.5%を記録し、大きな注目を集めていたことがわかります。
しかし、わずか6年後の2007年以降の視聴率を見てみると、一気に7〜9%に落ち込みました。
2018年4月5日高畑監督が逝去したことによって急遽追悼放送された際も6.7%と視聴率は良くありませんでした。
「火垂るの墓」の視聴率が急に落ちてしまった理由は明確になっていません。
しかしテレビ放映も営利事業である以上、視聴率が取れない番組は放送の可否を見直さなければなりません。
とはいえ、視聴率が下がってきた2007年以降も3〜4年おきには放送されているようなので、この先放送されないことがあるのかが気になります。
火垂るの墓が放送されないのは「あのシーン」が発端?
「火垂るの墓」の中で重要なシーンのひとつに「サクマ式ドロップ」が出てくる場面がありますが、このシーンが放送されない理由になったという説があるのです。
妹の節子はドロップが大好きで、ドロップがなくなった後も缶をずっと握り締めていました。
節子がドロップを食べるシーンはとても印象的ですよね。
1粒口に入れればそれはもう幸せな顔をして、中身がなくなってしまった缶には水を入れて甘くなった水を飲んでいるほど。
節子が亡くなる直前のシーンにも、ドロップを食べたくておはじきを口に含んでいたという悲しいエピソードが描かれ、「火垂るの墓」の中でドロップは重要な役割を果たしています。
節子の笑顔を見たかった兄の清太は疎開先の西宮のおばさんにお世話になる際、渡す食料を準備している時、ドロップだけをこっそり抜き出しているシーンも描かれていました。
しかし、このドロップを巡ってある問題が勃発。
それが解決するまで「火垂るの墓」は意図的に放送禁止の措置が取られていたとのこと…それは一体どういうことか?
このお菓子は佐久間製菓という会社が製造していました。しかし、戦時中の材料不足によって一時廃業となっていたのです。
そして終戦後、佐久間製菓の兄弟が分離して別々の会社を作ってそれぞれが「サクマ式ドロップス」「サクマドロップス」という商品を作ることになりました。
この商標を巡った争いに「火垂るの墓」が巻き込まれたことが原因で、放送されなかったと言われているのです。
が、その後は「サクマ式ドロップス」のシーンはそのまま使用され、後には節子のイラストが入ったサクマ式ドロップスも発売されています。
なんだか闇深い話ですね。
もう一つの理由…国を敵に回して「放送禁止」になった説
そしてさらに、こんな説も…
「火垂るの墓」の舞台は第二次世界大戦。
そこから本作が反戦を訴えた映画であると見なされ、国の軍事法に対する反対意見を示していると敵視されたことで放送禁止に至ったとも考察されています。
確かに戦争がなければ清太も節子も死なずに済んだのにと思うシーンがいくつもあったり、戦争の悲惨さを感じてしまうシーンもありました。よってそう捉えられても無理はないでしょう。
しかし、高畑監督自身は反戦アニメではないと明言。
「反戦やただ涙を誘うような映画ではなく、戦争時代に生まれた普通の兄妹の日常を描いた悲劇の物語」
とのことです。
また他の記事でも紹介していますが、
「社会との繋がりを断つとヒトはどうなるのか?」
そんな視点でこの映画を観て欲しいとも高畑監督は語っています。
⇒【悲報】ナゼ働かない?火垂るの墓、清太がクズで無能すぎると話題に はこちら
まとめ
いかがでしたか?
今回は「火垂るの墓」の放送禁止説、ナゼ放送されない時期があったのかについての考察でした。
印象的なシーンが多い映画ですし、戦争について、生きる選択について、様々なことを考えさせてくれる映画です。
これから先も放送されないことがないよう、多くの人に観ていただきたい映画です。