2013年に公開されたスタジオジブリ作品「風立ちぬ」。
新世紀エヴァンゲリオンで有名な庵野秀明さんが声優を務めることでも話題になりましたね。
「風立ちぬ」のヒロイン菜穂子は、女優の瀧本美織さんが担当されました。
凛としたとても素敵な女性で、二郎が惹かれていったのも納得です。
しかし菜穂子は最後、死を迎えてしまいます。
ですが、彼女は病気で死んだという説と、自殺だったのではという説があるようです。
今回は彼女の死因が病気なのか、もしくは自殺だったのか「風立ちぬ」を振り返りながらご紹介します!
菜穂子の病気って?「風立ちぬ」の時代に流行った病気とは
「風立ちぬ」の舞台は1920年代。
現代とは違い、まだ病気に対応できるワクチンの開発・流通がままならない時代でした。
しかもある日突然襲ってきた関東大震災。
国の中心である東京が壊滅状態になってしまい、更に医療体勢はひっ迫していたことでしょう。
様々な病気が蔓延していましたが、特に恐れられていたのが結核です。
今でこそ治療や予防が可能となっている病気ですが、当時は結核にかかってしまうとなす術がありませんでした。
「風立ちぬ」の中で、菜穂子も結核を患っていると明らかにされていました。
彼女が病気を患っているとわかっていても、二郎は彼女との結婚を決めました。
それほど菜穂子を愛していたのでしょうね。
菜穂子が自殺していたとされる理由
しかし、彼女の死因は病気ではなく自殺という説があるようです。
自殺だとされる理由は主に2つ。
まず1つ目は菜穂子の行動です。
菜穂子は山の上の病院で療養していましたが、二郎に会いたい気持ちを抑えきれずに病院を抜け出します。
二郎は上司の黒川の家の離れに下宿していました。
黒川夫妻を証人として二人は無事に結婚。
下宿先にそのまま菜穂子も一緒に住むことになりました。
ところが菜穂子の病気は日に日に悪化していき、ほぼ寝たきりの生活に。
二郎は彼女のそばにいてやりたかったのですが、完成間近の飛行機設計の仕事で寝るのも惜しまず仕事をしていました。
ついに二郎が作る飛行機が完成し、初飛行が行われる日。
菜穂子は二郎が出社するのを見送ると、手紙を置いて去っていきました。
この時、病院に戻るのであれば彼女はバスに乗って駅に向かう必要があったのですが、
どうやら歩いてどこかに向かっている様子でした。
このことから、菜穂子は病院のある山へ帰ることなく、自殺するためにどこか別の場所に向かったのではと推測されるのです。
ちなみに、病院や当時の治療法についてはこちらの記事でも紹介しています。
⇒知ると悲しくなる!風立ちぬ、菜穂子が山へ帰る理由が切なすぎる… はこちら
病院に帰ったとしても病気が治るわけではなく、とにかく安静にしているのみ。
自分の運命は自分で決めたいと考えたのであれば、自殺を選ぶことも不思議ではありません。
そしてもう1つの理由は「風立ちぬ」の主題歌、「ひこうき雲」の歌詞です。
松任谷由美(荒井由美)さんが歌い上げる、作品にぴったりの主題歌。
その中に、
高いあの窓で あの子は死ぬ前も
空を見ていたの 今はわからない
ほかの人にはわからない
あまりにも若すぎたと ただ思うだけ
けれど しあわせ引用元: 「ひこうき雲」作詞・作曲・唄 荒井由美
という歌詞が。
捉え方によっては、高い窓から自殺をした若者がいた…という意味にも聞こえます。
推測になってしまいますが、この先病気の治療をしても辛いだけ。
それであれば二郎と結婚して二人で過ごした幸せな時間の思い出を持って自殺を選んだ、
という行動にも繋がるかもしれません。
これらのことから、「彼女は自殺したのでは」と考えられるようになったのです。
「風立ちぬ」のヒロイン、菜穂子のモデルは矢野綾子
「風立ちぬ」の主人公、堀越二郎は実在した人物。
では、菜穂子も実在の女性がモデルになっているのでしょうか?
彼女は「風立ちぬ」オリジナルの人物だとされていますが、モデルは存在するそう。
油絵を描き、結核にかかっていた矢野綾子という女性がモデルになっています。
そして彼女は病気が進行してしまい、亡くなったとされています。
菜穂子の設定と同じですね!
ちなみにスタジオジブリ作品の中でヒロインが死んでしまうのは「火垂るの墓」の節子と、「風立ちぬ」の菜穂子だけ。
「風立ちぬ」は宮崎駿監督の引退作品でもあります。
最後の作品でヒロインの死を描いたのには、何か意味があったのかもしれませんね。
まとめ
今回は「風立ちぬ」の菜穂子の死因、病気説と自殺説についてご紹介しました。
菜穂子の最後は「風立ちぬ」の中ではっきりと描かれていないため、病死か自殺かは明らかになっていません。
そして菜穂子だけでなく、二郎にも自殺説があるようです。
ずっと作っていた飛行機は無事に完成したものの、最も愛する菜穂子を失ってしまった彼。
生きる希望をなくした二郎は自殺を試みて、その心境がラストシーンに現れているのではないかというものです。
ラストシーンでは菜穂子も登場し「生きて」と声をかけました。
しかし当初の脚本では「来て」になっていたとか。
もしかしたら、自殺を試みた二郎を迎え入れるようなセリフだったのかもしれません…